第1章 不動産屋

 二ヶ月前、貴志の家は火事をおこした。
最愛の妻と二人の子供をその時に 亡くしてしまった。
なんとか納骨を済ませ、今日は新しい家を探す為に、 京王線に乗っていた。
貴志のあの家は小田急線沿線にあった。
全焼した後、きれいに整地しなお したが、もう一度建て直して住む気にはならない。思い出の土地を変えて しまうほどの力が今はもう無い。
かといって、いつまでも親戚の厄介にな るわけにもいかず、重い腰を上げることとなった。
出来るだけ環境を変えたい。
勤務先を変えることは出来ないから、通勤の 経路を変えるしかない。
小田急線以外。しかも静かな町を探すことにした。

(木に囲まれた生活がしたい)

 新宿から京王線に乗り、まず調布を目指す。
どうせ急ぐことはないので、 各駅停車に乗る。
学生の頃、貴志の大学が明大前にあったので、懐かしい 沿線に思いが強くなった。
八幡山駅で通過電車を待つ時、若き日に汗をか いたグラウンドの方を眺めていると、高い木々が何本も空を目指して伸び ていることに気付いた。

「あそこは、あのグラウンドの近くの林なのかな?」

物凄い興味が湧き上がり、貴志は思わず電車を降り、改札を出て、あの 方向へと歩き始めた。
思ったとおりにその林はグラウンドの近くにあった。
高い所から眺めた 景色とは違い、その林は思いのほか広く、数軒の家があった。一本の道 は結構交通量があるが、その道から離れると嘘みたいに静かになる。

「ここも世田谷区なんだ。」

前の家も同じ世田谷区。引越しなどの手続きも簡単だと思い、ますます 興味が湧いて来た。
駅まで戻り、近くの不動産屋を訪ねた。
不動産屋の ご主人はここぞとばかりにお勧めの物件のPRを続ける。
数軒を紹介し てもらった時、貴志は尋ねた。

「あのグラウンドのそばに林がありましたよね。あの付近に空家はあり ませんか?」

「あのあたりですか?」
ご主人は地図を開き、しばらく考え込んでいた。

「あー、お客さん。あることはあるんですけどね。築30年以上ですよ。
一戸建てですけどね。マンションとかの方が良いんじゃないです?」

「いえ、お願いします。そこを案内してもらえませんか?ぜひ!」

 貴志もなんでそんなに熱くなるのか不思議であったが、ご主人もその情熱 に負けてしまった。
案内された家は林の一部にあった。
あの交通量の多い 道から、細い道を10m程入った所に面していた。
門をくぐるとまず小さ な庭がある。
3m程歩くと玄関。平屋である。確かに築30年以上はうな づけた。
しかし、家も庭もいつでも生活出来るように整然としていた。

「最近まで誰か住んでいたのですか?」

「いや、確かもう10年は空家でしたよ。持ち主も地方に引っ越されたか ら、手をほとんど入れてないはずなんですが。不思議ですね。」

不動産屋も首をひねった。

「中に入って見ますか?」ご主人は鍵を見せた。

「ええ。ぜひ。」

二人は中に入って行った。
家の真ん中にこじんまりとした玄関があり、そ こから廊下が始まる。
突き当たりで廊下は二つに分かれる。
玄関の右側は 四畳半、左側が六畳間の和室で庭に面していた。
台所と風呂場は玄関の反 対側にあった。

「一人で生活するのには充分じゃないですか。」

貴志はすぐに気に入った。
不動産屋の事務所に戻り、契約書にサインを して、契約は簡単に成立した。

「区の出張所は駅の反対側にありますよ。すぐです。」

「そうですか、便利ですね。早速引越しの手続きをしてきます。」

そう言うと貴志は事務所を後にした。不動産屋のご主人は思った。

「うーん、不思議だな。あんな物件紹介したのは初めてだ。それにあんな にきれいだったとはね。あと何か忘れてる。何かがあったような。」


第2章 引越し

 その日は朝から曇っていた。

「叔父さん、叔母さん。長い間お世話になりました。」

「貴志ちゃん、大丈夫?もっと居てもらいたいけどね。これからは自分の体を大切にしてね。何か困ったら電話をするのよ。」

叔母の涙に見送られ、貴志は叔父の家を出た。
引越しと言っても、全部が燃えてしまったので着るもの以外何も無かった。
ボストンバックひとつ。
しかし心配してくれる友人が車を出して、迎えに来てくれた。

「悪いな、浩二。せっかくの休みの日に。」

「何言ってるんだよ。怒るぜ。」

しばらくして、古い空家の新居に着いた。

「おーい、貴志、大丈夫かよ!なんかおっかない家だな。」

「大丈夫さ。ちゃんと中まで見たし。」

「いやー、純和風でいいけど、何か居そうだな。」

「お化けが出るって言うの?あははは。」

貴志は腹を抱えて笑った。久しぶりに笑った。

「おれはこの静けさが気に入ったんだよ。お化け大歓迎さ。どうせおれも死にそこなったお化けのようなものさ。」

「ばか言ってるんじゃないよ。しっかりしてくれよ。まだ人生半分だぜ。楽しく過ごすのも供養ってもんじゃないか?」

「わかった、わかった。」

二人はボストンバックひとつと缶ジュース2本を持って家に入った。


 貴志は現在38歳。
亡くなった時、妻・祐子は36歳、長男・勝は10歳で長女・静香は8歳だった。
あの火事の日、貴志は出張で大阪にいた。
一人で寝ている時間に、三人は猛火に包まれ息を絶えた。
貴志はその時間の事を忘れない。
暑かった。ビジネスホテルのベッドの上で、びしょびしょに汗をかいて、うなされ、目がさめた。
もしかして虫の知らせとはこんな感じかと思いながら、携帯電話を取り出した。深夜2時だった。さすがに電話をして、起こすわけにはいかない。貴志は気にしないように努力して、もう一度眠りについた。
最悪の知らせを聞いたのは早朝だった。

「おれは何もしてあげられなかった。」

「おい、貴志。もう自分を責めるなよ。おまえが落ち込んでるのを祐子さんたちが喜ぶとでも思ってるのか?」

浩二の励ましは続いた。家の中は二人の話し声以外何もしない。とにかく静かだ。夕方、浩二はその家を出た。

「本当に大丈夫だろうな?来週も来るからな。」

「大丈夫だよ。そっちこそ奥さんを大切にしろよ。」

車は交通量の多い道を右折して、見えなくなった。
貴志は一人で家の中に入って行った。
とりあえず左側の六畳間を使うことにした。
すでに陽は落ち、当たりも家の中も暗くなってきた。
紐を引っ張って明かりをつけた。

「随分とクラシックだな。テーブルとかも買って来なくちゃいけないな。」

部屋を見下ろし、畳しかない様に苦笑し、腰を下ろしたその時に、自分の斜め右前に、髪の長い、和服姿の女性が座っているのに気がついた。



第3章 初対面

 和服姿の女性が幽霊であることは直感できた。

(浩二の言ったとおりになったな。)

妙に落ち着いている貴志。
半分透けているような姿を観察し続けた。
髪は黒く長い。着物は知識がないので良くは分からないが、よく旅館の仲居さんが着るような感じで、古風な模様だった。
うなだれているので表情を見ることは出来ないが、細面の古風な顔立ち。歳は30前かも知れない。もちろん肌は青白いが、美人と見えて恐くない。襲ってくる気もしなかった。
二人(?)の沈黙が続いた。

(あのー、どちら様ですか?って聞くのはおれのセリフかな?)

貴志が声を発した。

「あの、私は今日からこの家に住むことになりました、貴志と申します。あの、良かったらお名前を教えていただけませんですか?」

女は動かない。うつむいたまま。

「いや、良いんですよ、本当に。そりゃあ、初対面の男に簡単に名前を教えるわけないですよね。現代女性じゃあるまいしね。」

「あっ、そうそう。やっぱこれを聞かなくてはいけませんよね。あの、ですから、私がこの家に住まわせてもらっても良いかってことですよ。」

女は小さくうなずいた。

「あっ、そうですか、良いんですか。有難うございます。」

貴志は深々と頭を下げた。

「じゃあ、私はあなたのお邪魔はしませんので、これからよろしくお願いします。」

もう一度頭を下げると、女は消えた。
あたりを見渡したが、もう姿は無かった。静かだった。耳が痛くなりそうなくらいに。

(なんだろ?シナリオどおりって感じだ。恐くない。逆に好感が持てそうなのはなんでだろう?)

(おれはこの家を決める時から、こんなことを期待してたのかな?)

一人ぶつぶつと考えながら眠りについた。
翌朝、不思議なほど熟睡し、すっきりと目がさめた。

(今日はドンキとヤマダ電機に行って、買い物してこなくちゃ。)

貴志のメモ帳には、テーブル、クッション、テレビ、冷蔵庫、その他多数の生活用品が列挙されていた。
午前中にドンキで生活雑貨を揃え、搬入する。
昼はまず中華そば屋で食事をした。大学のクラブ時代から知っている店だ。
人懐こそうなお兄さんに「あの」話をしようかと思ったが、やめた。

「ご馳走様!」
(おれも常連になりそうだな。)

店を出て、ヤマダ電機へ向かう。数点を買い求めたが、重いものばかりなので宅配をお願いし、テレビだけを抱えて帰った。
テレビを設置し、電源を入れると、部屋の中が賑やかになった。

(これで少し退屈しなくなったな)

テレビの位置は、昨晩あの女が座っていた反対側。
テレビを見ながらふと右を見ると、彼女が座っていた。

「あ、テレビ買ってきたんです。う、うるさいですか?」
女は黙っていた。

「良かったら、一緒に見ましょうよ。この番組面白いですよ。」

別に妙なナンパではないが、とりあえずご機嫌を取る方向にいってしまう。
女の口元が笑った。かすかではあるが。貴志が面白いという番組を二人で見終わった。
女はずーっと正座をしている。

「あの、座りっぱなしで足が痛くないですか?クッション・・・」

(いけない!幽霊に足なんか無いんだ!怒ったらどうしよう。)

はらはら、どきどきと緊張する貴志。しかし女は再び口元が緩み、
「ゆき」
と言った。その声は彼女の後ろから聞こえてくるような、遠い、か細い声だった。


 

第4章 ゆきさんと

「あ、ゆきさんって言うんですね。」
(良かった。名前が聞けた。)

これから二人の生活が始まるのに、お互いの名前を知らないのは都合が悪い。なぜ、どうして、聞きたいことは山ほどあるが、機嫌を損ねてはいけないと思い、質問は明日からすれば良いと心に決めた。

「ニュース番組が始まりましたね。」

久米さんが登場した。帰宅がどんなに遅くなっても、貴志はほとんど毎日この番組を見ていた。
あの頃、家族が四人全員で見ていた唯一の番組かも知れない。
貴志は今日の出来事を一挙に収集しようとするが、妻や子供たちはこの時ばかりと、父親に話し掛ける。
騒々しい中で流れていた番組を、最近は一人っきりで見ている。

(これからは、ゆきさんと一緒に見るのかな)

その時、玄関の方から風がふわっと吹いた。妙な気配に廊下に出て、玄関の鍵を確認する貴志。

(あれ?ちゃんと閉まってる。)

気のせいだったのかと思い振り返って部屋に戻ろうとした。
すると三人の幽霊が、すぐ貴志の前に、背中を向けて座っているではないか。今度はさすがに驚いた。
興奮を抑え、観察を始める。
後ろ姿だが、一人は大人の女性、二人は子供の男女らしい。着ている服に見覚えがあった。

(もしや!)

貴志はそうっと部屋の隅を通って、三人の前に出た。

「あっ!おまえたちか!」

ひざまずいた貴志は大粒の涙を流しながら、二ヶ月ぶりに見る妻と子供たちの前で絶句した。
幽霊なるもの常に表情は無く、例えて言うならこけしの様。
こちらが思うように、怒って見えたり、微笑んでいるように見えたりするもの。
手をついて、ただ三人の表情を見つめる貴志。
やがて堰を切ったように話し掛けた。

「おまえたち、ごめんよ。おれが居なかったから、助けてやれなかった。熱かっただろ?悔しいかい?おれのこと恨んでるのかい?」

三人は貴志を見つめているが、表情は変わらない。

(なんで答えてくれないんだ?せっかく出てきたんだろ?)
(ああ、まさか?)

貴志は後ろにいるはずのゆきが気になった。振り向くとそこにはやはりゆきがいた。

「ちょっと誤解しないでくれよ。」

浮気の現場に家族が踏み込んだ時のように、慌てふためく貴志。

「違うよ。この方と一緒に暮らしたくて、ここに来たんじゃないよ。」

偶然をしきりに強調する。でも、三人の表情は変わらない。怒っているようでもない。

(慌てる必要も無いか。明日からゆっくり話をしよう。)

貴志は四人に「おやすみなさい」を告げ、先に休むことにした。
しかし、一人にとって広い六畳間が、貴志の他に四人の幽霊が現れ、やや狭く感じられる。
布団を出来るだけ端にひき、枕もとに妻と子供たち、足元にゆきが見える。半透明の四人を交互に見つめながら、気を失うように眠りについた。



第5章 五人の生活

鳥のさえずりを聞いて目がさめた。貴志は今日まで会社を休むことにしていたので、朝早く起きる必要はない。
目を開けると子供たちが覗き込んでいた。
以前は休日の朝に、お決まりの催促で起こされる貴志だった。

「パパ、早く起きてよ。」

「頼むよ。休みの日ぐらいは寝かしてくれよ。」

「ダメ!遊ぼう!」

今日はさすがに催促はしない。ただ何となくうれしそうに見つめている。

「勝、静香、おはよう。ずーっとそこにいたの?」

うなずくこともしないが、気持ちは伝わった気がする。
起き上がると妻は昨晩の位置のまま、うつむいて座っていた。ゆきの姿は無い。

「なんか、また皆で生活してるみたいで、嬉しいよ。」

布団を片付けながら、妻に話し掛けるが、返事は無い。

(朝食はまだ?って聞くのは変だよな)

貴志はコーヒーを入れる為に、やかんを火にかけた。
テーブルを真ん中に置き、昨日買った菓子パンを置くと、子供たちが珍しい様子で集まって来た。
貴志は慌てて冷蔵庫を開け、プリンを取り出し、子供たちの前に置いた。

「食べな。おなかすいてないかい?」

子供たちはただ座っているだけだが、嬉しそうな表情に感じられた。

(お供えのようなものか)

子供たちが急に台所の方を見つめた。
貴志がそれにつられて、見てみるとやかんが沸騰し、今にも噴きこぼれそうだった。

「あ、祐子、頼むよ。火を消してくれ!」

いつもの感じで頼んでしまう。
すると今までずーっとうつむいていた妻が顔を上げた。
台所を向くと、突然台所へ突風が吹いた。やかんの火が消えた。

「やるもんだな」と感心し、妻の顔を見ると、何となく得意げな表情を して、またうつむいた。
しばらく子供の顔を見ていると、ガス臭い臭いがした。
慌てて台所へ走る。案の定ガスは出っ放しだった。
妻は火を消すことが出来ても、ガスのスイッチを切ることは出来なかった。
もともと、おっちょこちょいだった妻。「またやったな」という顔で妻を見ると、妻は恥ずかしそうにうつむいていた。

「気にすることはないよ。」

妻の前で必死に励ます貴志。
いつしか四人で噴出し、大笑いをしてしまった。そんな気がした。

昼前にまた買い物に出かけた。
今日は酒屋さんでビールと焼酎を買い込んだ。
妻と子供たちは、あの家から出られないらしく、留守番を頼んだ。
家に戻ると子供たちは、ついていないテレビの前で座っていた。
貴志はすぐにテレビをつけ、子供の好きそうな番組に回した。
買ってきた物を台所で片付けていると、妻の視線を感じた。

(大丈夫だよ。これくらい自分で出来るから、心配するなよ)

夕方になって、ゆきが現れた。
妻と子供たちはひとまとまりになって、座り直していた。



第6章 理解不能

(ゆきさんが恐いのかな?それとも上下関係?)

「今晩はゆきさん。」

相変わらずのゆき。

「もし良かったら教えてくれませんか?どうしてうちの家族がここに来たのか。」

ゆきはうつむいたまま、答えることはない。
冷蔵庫からビールを取り出して、一気に飲み干す。少しずつたまったストレスが一気にはけようとしていた。


「なあ、祐子。どうして成仏出来ないんだ?納骨も法要もちゃんとやったよ。別に、たとえ幽霊でも皆と一緒にいられるのは嬉しいよ。でも、それはいけないことじゃないのかな?」

二本目のビールが空いた。

「そうか。やっぱりおれだけ生きていてはいけないんだ。ここでおれも死ねば、一緒に行ける。」

貴志はやけになり、台所へと向かう。
子供たちの霊がぴったりと付いて来る。
まな板の上の包丁を握ろうとした瞬間、木の柄の部分にまるで静電気が走ったようで、痛くて握れなかった。子供たちが包丁を見つめていた。

「お、おまえたち、お父さんを許してくれるのか?」

泣き崩れる貴志。酔いも手伝って、いつの間にか眠りに落ちていた。
次の日から出社することになっていた。ちょっと頭痛がしたが、ちゃんと予定の時間に起きることが出来た。

「起こしてくれたんだね。ありがとう。」

顔を洗い、簡単な朝食をとり、着替えて玄関で靴を履く。振り向くと3人が立っていた。

「お見送りなんて何年ぶりかな?じゃあ、行ってきます!」

元気を装ってドアを開けた。鍵を閉めようとすると、内側からカチッと鍵がかかった。ノブを回したが、しっかりと鍵がかかっていた。

「やるじゃん!」

駅まで七分の距離も、貴志の足は軽く、何と言うこともない。
仕事を早々に切り上げ、帰宅した。玄関のドアを開けようとすると、鍵が中から開いた。

「ただいま!開けてくれたの?ありがとうね。」

しかし三人の姿が無い。出迎えてくれていると思い込んでいたので、少し気が抜けた。
廊下を歩いて左側の六畳間に入ろうとして、驚いた!
たくさんの幽霊が座っている。
畳一枚に大体五人はいるので、総勢30人ほどの幽霊がいた。
奥にはゆきが、隅には妻たちが座っていた。強烈な眺め。
皆座って、黙っている。
部屋の半分から上は斜線を引かれたように暗い。

しばらくふすまの所で立ち尽くしていた。

「ゆきさん、どうしたんですか?」

今日は、ゆきは貴志をじっと見ているが、答えてはくれない。三人もうつむいている。

「どうしたものか?」

予想外の展開に戸惑う貴志。
何とかしないと、家族の平和は取り戻せない。
すっかり異常に慣れ始めているが、これ以上に耐えることは出来ない。
力が抜けて座り込む。
目の前に座っている老婆と目が合った。


第7章 一か八か

当然だが、貴志はその老婆を知らなかった。
着ているものは高齢者にありがちな洋服であったが、確実に今のものである。貴志は直感した。

「ここにいる人は皆、最近亡くなった方たちなんだ。」

その老婆と目が合った以上、黙っているわけにもいかない。

「お婆さんはいつ亡くなったの?」

返事が来ないのには慣れてきた。貴志は老婆の目をしっかりと見つめ、

「じゃあ、そろそろ成仏して、天国へ行かないとね。」

「南無阿弥陀仏」と唱えた。

すると半透明の老婆の姿は消失し、蛍のように小さいけれど、見たこともないような美しい光となって、天井をすり抜け、空へと上っていった。
驚いたのは貴志だけではない。
避難所のように、それぞれが勝手な方向を向いていた幽霊たちが、一斉に貴志の方を向いた。
貴志も何をすべきかを心得たようで、廊下から一人ずつに声をかけ、「南無阿弥陀仏」を唱え続けた。
空へと舞い上がる蛍のようなきれいな光が、二時間くらい続いただろうか。気が付くと昨日までの四人の幽霊だけが残っていた。

「あー、疲れた。皆成仏したってことなの?」

ゆきはコクリとうなずいた。
冗談じゃない。
貴志は霊感など持っていないし、お坊さんでもない。

「ゆきさん、私は毎日こんなことをしなくてはいけないのですか?」

ゆきは微笑みながら消えていった。

「なあ祐子たち。おまえたちも成仏したいだろうけど、明日にしてね。」

疲れきった貴志は、布団を敷くと、倒れるように寝入ってしまった。
祐子も子供たちも複雑な表情で貴志を見つめていた。

次の朝がきて、昨日と同じように家を出た。今朝は少々足が重い。

「一体どうなってるんだ?あれがおれの役目なのか?」

貴志は一日中考えていた。
あの家に住む者は、あの役目を負わなくてはならないのか。
しかし、ここ10年間は誰も住んでいないはず。
毎晩、あれだけの人数を一体誰が成仏させていたのか。
考えれば、考えるほど分からなくなった。
帰宅して、恐る恐るドアに近づく。カチッという開錠の音。
ドアを開けたが、今日も出迎えはない。
六畳間のふすまを開けると、やはり30人ほどの幽霊が座っていた。
今日ははなからこちらを向いている。

「皆さん、今晩は。着替えますから、少々お待ち下さい。」

ネクタイをはずし、コップ一杯水を飲む。
一息ついてから、始めることにした。
今日の一番手は、まだ40歳代の男性だった。

「あなたはまだ若いですね。無念でしょう?」

「だけど成仏して下さい。南無阿弥陀仏。」

その男性は、小さなきれいな光に変わった。次も40歳代の女性。

「あ、あなたと先ほどの男性とご夫婦だったのですね?」

「では、ご主人に次いで成仏して下さい。南無阿弥陀仏。」

それから、老若男女入り乱れた相手を、次々と成仏させていった。
昨日よりはまだ余裕があったが、終わる頃にはへとへとになった。
部屋の隅に座ってる、ゆきと妻と子供たち。
ビールを飲みながら、貴志はため息をついた。

「はあ、今日もおまえたちを成仏させる体力が残ってないよ。ゴメン。」

妻や子供たちを成仏させるということは、どんな形でも、もう会えなくなると言うこと。
今はまだ気がすすまない。
申し訳ない気持ちで、妻たちに背を向けて眠りに付く貴志だった。



第8章 いよいよその日が

帰宅すると成仏に手を貸す日が、一週間も続いていた。しかし確実に相手をする幽霊の数は減っていた。

「ああ、今日は五人だ。」

少ないことにこしたことはないが、「疲れた」と言う名目が無くなる。

「あれ?この人、どっかで見たことがある。」

貴志は思い出した。先月だったか、新聞の三面記事に載っていた事件の被害者だったはず。
同じ世田谷区だったので覚えていた。実は昨日も同じような人がいた。
五人を成仏させた後、ビールを飲みながら考えていた。

(もしかしたら、ここに来る人は皆世田谷区の人じゃないか?)

(始めの頃、あんなに混んでたのは、数日あれをやってなかったから?)

(ここ数日は一日五,六名だものな。そんなものだよな。)

貴志ははっとした。

「ゆきさん、だからうちの家族がここに来たのですね?」

ゆきはコクリとうなずいた。

「では、どうして私がそんな家に住むようになったのですか?私は、この手で家族を成仏させる為に、ここに来たと言うのですね。」

ゆきは微笑みながら、姿を消した。

「祐子、勝、静香。おまえたちを成仏させる日はもうすぐのようだ。」

「お父さん、頑張るからな。」

黙っている三人に背を向けて、頭から布団をかぶる貴志だった。

翌日は日曜日。
先週はさすがに疲れていたので、今朝はもう昼になっていた。
目をさますと子供の顔がある。
いつもと同じ。テーブルを出して、菓子パンと子供たちが好きだったメロンを出す。妻と二人分のコーヒーを入れ、話を始めた。

「勝。おまえは走るのが速かったな。
お父さんは感心してたんだぞ。
野球を始めたって聞いたから、出張から帰ったらキャッチボールでもしようとグローブも買ってたんだ。」

「静香。お父さんはおまえと一緒にお風呂に入るのが大好きだったんだ。
おまえは歌が上手だったから、大きくなって歌手にでもなれたらと思ってたんだよ。」

そして

「祐子。いろいろ、ありがとうね。
結婚して良かったかい?おれは祐子に全部任せてたから、楽だったよ。
去年の夏休みは良かったよな。伊豆の海で子供たちを遊ばして、夜は貸切のジャグジーが気持ち良かった。」

三人は何も答えない。ただ貴志が一人で話を続けていた。

「あっ、明日の朝のパンを買ってこなくちゃ。皆が好きなコーヒー牛乳も買ってくるよ。」

貴志は家を出た。
買い物をして帰ると、あたりはすでに暗くなり始めていた。
ドアを開けて中に入る。誰もいない。

(おいおい、もう始まったのか?)

六畳間のふすまを開けると、案の定、三人の幽霊が座っていた。

「買ってきた物を片付けたら始めます。」

この仕事も板に付いて来た。冷蔵庫にしまい、水を一杯飲んで、始まった。

「南無阿弥陀仏」を三回唱えて、三人は消えて行った。
するとゆきがふっと立ち上がった。
隅っこにいたはずの妻と子供たちがいつの間にか目の前で座っていた。

「ああ、今日がその日なのか!」

絶望にも似た悲しみが、体の深いところから湧き出した。


第9章 家族の為に

涙が止まらない。嗚咽し続ける貴志。

「ゆ、ゆきさん。もう行かないとだめなの?」

ゆきは優しくうなずいた。

「お父さんに最後の仕事をさせてくれて、ありがとうね。」

やっとの言葉がかけられた。

「おまえたちも待ってたんだよね。ゴメンね、遅くなっちゃて。」

「あっちに行ったら、祐子のお父さんによろしく言ってね。」

「じゃあ、始めようか。誰からにしようか。ま、勝、おまえからだ。

一番に向こうに行って、皆を待ってろよ。お兄ちゃんなんだからな。」

勝の前に座りなおす。勝がコクリとうなずいた。

「な、南無阿弥陀仏。」

勝が小さな光に変わった。とてもきれいだった。

「勝、行けー!」

小さな光は勢い良く、天を目指して飛んでいった。

「いいぞっ。さすがお兄ちゃんだ!」

「次は静香だよ。お兄ちゃんが待ってるから恐くないだろ?」

静香もコクリとうなずいた。

「じゃあ、げ、元気で。南無阿弥陀仏。」

静香もきれいな蛍に変わった。

「あー、なんてきれいなんだ。今までで一番だぞ!」

親ばかに後を押されながら、蛍は天上を目指した。

「最後は祐子だね。」

祐子の頬に一筋の涙が落ちた。拭うことなく見つめる祐子。

「祐子、愛してるよ。これからもずーっと。向こうに行ったら子供たちのことを、よろしく頼むね。」

渾身の力を込めて叫んだ。

「南無阿弥陀仏!」

祐子は微笑みながら、小さなきれいな蛍になった。

「やっぱ、おまえが一番きれいだよ。」

上っていく光を追いかける為、庭に裸足で飛び出す。三つの光が天高く上っていた。
涙を何度も、何度も拭って、最後の一つが消えるまで、見上げていた。
林を静かに揺らす風が吹いた。
その風が貴志の真っ赤な目を優しく冷してくれる。

「しばらくの間、この風の中にいよう。」

夜の闇が白々と明けるまで、庭でたたずむ貴志だった。




第10章 旅立ち

会社に出てもぼうーとしている。
昨晩は結局一睡もしていない。
同僚も心配をして、早退を勧めた。
上司に報告し、帰宅することになった。
しかし帰る足取りは重い。待っている人はもういない。
帰りの快速電車でふと思った。

(おれは二度も大事なものを失ったのか?)

失意のまま八幡山に着く。ホームに下りたが、そのまま駅のベンチに座り込んでしまった。あの林の方角を見る。

(あそこから、つーっと光が上ってったのか。)

ため息混じりに眺めていると、きらっと光るものが空高く上って行った。

「おい、あれはなんだ?おれはここにいるぞ。」

走り出す貴志。
ゴルフ練習場の前の道を走っている時、またあの光が空を上って行くのが見えた。
息も絶え絶えになりながらも、家の門まで着いた。
自分で鍵を開け、六畳間に飛び込んだ。
ゆきがいた。

「ゆ、ゆきさん。あなたは一人で出来るんじゃないか。」

貴志は力が抜け、座り込んだ。

「良く分かった。分かりました。結局はあなたがやってたのですね。
そして、あなたがいたから、家族の幽霊も見えたんだ。
家族の最後にいてやれなかった私を、この家に呼んで。」

全てが理解できた時、ゆきの姿は消えた。もう二度と幽霊を見ることは無いはず。

仰向けになって天井を見つめる。

(そう言う家だったんだ。)

(おれも不動産屋のあの人も一杯くわされたな。)


数日後。
荷物をまとめ、今度は軽トラックを浩二が借りてきた。

「まったく、もう引っ越しかよ。」

「悪い、ごめん。」

「別に良いさ。こっちはどうせ暇だから、さ。」

もう一人の友達も来て、冷蔵庫などを運ぶ手伝いをしてくれた。

「じゃあ、二人で先に行っててよ。おれは鍵を渡してから行くから。」

「オッケー。じゃ。」

軽トラックは右折して消えて行った。

「ゆきさん、ありがとうね。この家にいる用は無くなったみたいだから、私は出て行きます。お仕事、頑張ってくださいね。」

貴志は不動産屋のご主人に適当な言い訳をして、事務所を出た。

調布までの切符を買い、ホームへと上った。
あの林のあたりの木が見える。
あの光を見たのは、その隣。今ではその光を見ることが出来ない。
もともと霊感などないのだから当たり前のこと。

(もう見えない方が良いに決まってる。)

自分に言い聞かせる貴志。
電車が入ってきた。各駅停車だ。

(急ぐ旅ではないよ)

貴志が電車に乗り込もうとした時、風が貴志の背中に吹いた。

(あの風だ!)

ドアが閉まった。
貴志は振り返ってドアの向こうを見つめた。
八幡山には時々やさしい風が吹く。
その人にとって思い出になる、そんな風が吹くことがある。




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